文化だ

お茶は,国・民族を超えたコミュニケーションツール

元京都府外国籍府民共生施策懇談会委員中堂 規久子

海外から来られる方に日本の暮らしや文化を伝える

今,日本,そして京都には移住する外国人が多く,その人たちは労働者として,貴重な存在となっている。また,母国の発展のために留学している人もいる。私は海外からくる人達に,日本の良さや京都の素晴らしさを知っていただく為に伝統芸能の観賞を通じて文化を知ってもらったり,日本の家庭料理や茶道や着物文化を伝えている。長年の活動として,日本語指導もその一つで 日本語以外の言語しか,話せない人とのかかわり方を考えてきた。

私達は,コミュニケーションを取る為に,「お茶でもいかがですか?」「今度お茶でも行きましょう。」と常時,使う。そして,実際にはコーヒーになったり,また,食事をすることになったりと「日本茶を飲む」ことに限らないが,今までに行った外国でも,お茶を飲むという事は,初対面の人との距離を縮め緊張感を薄れさせてくれた。

マリに日本文化を紹介

2016年訪問した,西アフリカのマリでは,「日本文化を紹介する海外支援プロジェクト(Atelier Ikebana ou l’art floral Japonais)」で知人の家でホームステイをさせて頂き,一日に何度もマリ茶をいただいた。その家に訪れる人が,初めて会う人で初めて見る私に 特別の笑顔でお茶を進めてくれた。それは,甘くてとても心地よい味だった。あの熱い国で,こんなに素敵なコミュニケーションの取り方に感動さえ覚えた。

私もマリの女性たちに,茶道を披露して,彼女たちはお茶を点てた。おそらく,茶筅で,陶器に入れた少量の抹茶の粉をいれてーというのは,初めてだったと思う。日本から持参した茶道具を見るのも初めてだと・・・。

心で淹れるお茶

外国で,お道具からそろえるのも難しく,マリの市場で布を買い,帛紗を作り,みんな,浴衣の帯につけてお茶会をした。高級なお道具より,気持ちの良い所作が心を動かすのだ。

茶道というのは,かなり敷居が高く,だんだん,お稽古をする人が減少しているという。裏千家では「ちゃどう」という言い方が正しい。でも一般的には「さどう」という言い方が浸透している。どちらでもいい。おいしいお茶ならとこの年になってそう割り切ることができた。それは去年のマリでの熱心な女性達とのお茶会と,マリ茶を入れてくれた男性達の優しさを感じたからかもしれない。心でお茶を入れるという事を学んだのだ。

私の夢

私の夢は,4年後の60歳でお茶会を開催することだ。
その為に何年か前から,お道具を買い求めている。お茶会に来てくれた友人達にお礼にプレゼントするためだ。今,多くのお道具が行き場を失っている。私はそのお道具を求め,また表舞台に出してあげたいと思っている。
一つのお茶碗に執着を求めるより,日々出会ったお茶碗で心を込めたお茶をいただくこと。それをいつも思い,マイボトルに今日もお茶を入れて出かける。(2017年2月14日公開)

<プロフイール>

1997年より,京都市日本語ボランテイアとして,国際交流会館,市内の小中学校で活動。京都府外国籍府民共生施策懇談会委員を就任(2010年 2012年 2015年)
2010年より京都市総合育成支援員として,小学校2校,中学校2校で活動する。
2015年京都文教大学臨床心理学部入学。翌年,退学。

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