「コロナ共生社会のライフスタイルは京都から」京都府立大学宗田好史先生インタビュー「動画あり」

京都府立大学宗田好史教授にインタビューしました。

「観光ごみ問題は、外国人観光客が引き起こしたわけではない。」

今回のお話 宗田好史(むねた よしふみ)さん

  • 都市建築学者、京都府立大学教授
  • 国際記念物遺跡会議(ICOMOS)国内委員会理事
  • 京都府農業会議専門委員
  • 京都市景観まちづくりセンター理事
  • (特)京都府地球温暖化防止活動推進センター理事
  • (特)京町家再生研究会理事など

「コロナ共生社会のライフスタイルは京都から」インタビューのねらい

2020年以降、良し悪し関係なく「コロナ共生社会」を生きなければなりません。
新しいライフスタイルが求められますが、一方、使い捨てプラスチックは増加しています。
脱プラ,減プラが求められる中、新たなごみ減量活動の創造に向けて、この分野に詳しい専門家、社会活動の実践者から、アイデアや提言、見落としていることなど、教示していただきたいと思います。

宗田先生へのインタビューのねらい

宗田先生は、観光にも詳しく、観光ごみの発生要因等についても、深い見識をお持ちです。
2020年に入り、新型コロナウィルスの影響で、京都市に限らず、海外からの観光客は、ほぼ皆無になりました。
いずれ内外から多くの観光客に戻ってほしいと思いますが、以前は「観光公害」などの言葉が出るなど、多くの問題も起きていました。
観光客に戻ってきてもらう前に、どのようなことが必要か、ご教示願いたいと思います。

話し手 京都府立大学教授 宗田好史さん
日 時:2020814日(金)10時から
場 所:京都市左京区下鴨半木町
京都府立大学
宗田研究室からZOOM取材
聞き手:京都市ごみ減量推進会議職員 堀 孝弘
記 録:くうのるくらすの創造舎 南村多津恵

以降、インタビュー内容

聞き手:

現在、新型コロナ感染症の流行で観光地が閑散としています。しかし、その前には大勢の観光客が来ていて、食べ歩きなどによる観光ごみが問題になっていました。もともと地元で商売している人からこの状況はどう見られているのでしょう。いずれ観光客に戻ってきてもらう前に、地元はどんな用意をしておけばいいのでしょうか。

宗田さん:

まず誤解があるようですけど、観光とは発展するだけでなく、衰退するなど波がある産業です。2010年ごろから日本人の観光客はゆるやかに減っていました。シニアの団塊世代は好んで旅行しますが、そのジュニアは海外も国内もあまり旅行しません。急速に海外客が増えたのは2012年からで、観光の中身がずいぶん変わりました。10年前のように中高年の日本人女性が多かったら食べ歩きはしなかったでしょう。それが海外客の訪問で外国客の和食好きが飛びつきました。

今後も傾向は変化するでしょう。アジアはこれから高齢化します。中国の女性がおしゃれになって日本に来るようになります。1970年ごろの京都観光は、修学旅行生が中心でした。80年代は修学旅行生がタクシー旅行をした時代。それが高齢化で客層がシニアに変化してきて、タレントやおもちゃの店がなくなりました。

食べ歩きの問題は一過性のものだけれど、どう評価すべきか。もっとおいしいものを食べてもらうのはいいですが、どういう形が望ましいかは議論が必要です。これまでのとりあえず売れるものを売ろうということが、どういう迷惑を周囲にまきちらしたか、それを考えて、これからルールを作ればいいでしょう。かつての公害と同じで、たとえば四日市喘息や水俣病など、工場を造ったのは発展のためでしたが、規制がなかったから問題が起こりました。これは社会で受け入れられない、罪悪だということで排出者責任の仕組みができました。今、同じことが観光地で起こるようになっています。公害に手立てがあったように、仕組みを作らないといけないということですね。

聞き手:

京都の錦市場のように、食べ歩きではなく店内で食べることをお客さんに声かけをして、それがステイタスになるようなそんな取り組みは国内外にありますか?

宗田さん:

それは世界的にあります。オープンカフェの文化はあっても、自分が売ったものを勝手にそこらの道路で食べさせるのはルール違反です。キッチンカーもどこで営業を許すかを決めないと。ルール作りは難しいことですが、みんなの公共の空間を一時使うわけだから、その費用を取るように。今の状況は「泥棒経済」です。早い者勝ちで許されているけれど、まず商店街、次に市役所が取り締まりをするとよいでしょう。

聞き手:

もともと商売をされている方は、食べ歩きの文化の発生を苦々しく思われていたのですか?

宗田さん:

そりゃあ皆さん、他所の店のものを自分の店の前で食べられたら嫌でしょう。お行儀も悪いし。

聞き手:

その価値観を海外からの観光客と共有すればいいですね。「だめです」ではなく、ルールを受け売れていただく必要があると。

宗田さん:

そもそも、食べ歩きが当たり前だと誰が言ったの? オープンカフェの文化はイタリアでは60年代に始まりました。フランスでは19世紀からあった。しかし、アメリカにはなかったんです。80年代にアメリカの若者がローマやパリに行って初めて体験し、いたずら気分で絵はがきで親に知らせたら「路上で浮浪者のようにパンを食べるなんて!」とパニックになった。ヨーロッパでもドイツ人はオープンカフェは嫌いでした。この文化はだんだん広がりました。一人暮らし世帯が増えたから、人々が家の中で食べることから、外食が増えました。一人では寂しいから一緒に食べてくれない?というノリです。その人たちは、バルのカウンター前で立って食べることはありますが、それは室内のこと。室外だったらお店の前のテーブルとベンチに座ります。行商人が屋台を出しても、お客は屋台の前に座ります。食べ歩きは日本の特徴です。デパ地下での試食というものが90年代に登場しましたが、欧米人は「日本人はこんなに行儀悪かったっけ?」という反応でした。錦市場はデパ地下が流行る前に、漬け物などの試食がありました。スーパー内での試食も生まれたが、アメリカではないですね。そういう異常なことが積み重なって、日本で広がったんです。私はシンガポールで屋台の食事はしたけど、食べ歩きはしたことはありませんでした。食べ歩きは外国人が始めたのではない。

聞き手:

え、食べ歩き文化は日本発!?

宗田さん:

「外国人が食べ歩く」という認識はとても失礼です。中南米、アジア、他で食べ歩きがさかんなところは私は知りません。屋台はあるけどね。

聞き手:

ジャパンルールだったんですか……。

宗田さん:

ジャパンルールは日本の女性が始めたんです。おじさんたちはけしからんと思っていました。

聞き手:

高校生が部活帰りに買い食いというのはありましたが、店の中でしたね。

宗田さん:

自販機の前というのもありました。商店街がつぶれて店のない地域の団地のコミュニティセンター前にある自販機、そこに高校生がたむろして若い女性をからかったりしたのが80年代、90年代。

外食で買ってきたものを、そこらで食べるのは日本の習慣です。テイクアウトは普通は家で食べるものです。

聞き手:

食べ歩き用の商品を売らないとやっていけないと思っている店も今ではあります。そんな食習慣が生まれてしまったと。

宗田さん:

日本も昔からやっていたわけではありません。急に観光客が増えた地域、たとえば滋賀県の長浜市や、彦根市のキャッスルロード。もう真剣にやる気はないがもともとのお店は手放さない、商店街の半分しめかかったようなお店。外から来た人がテナントとして一角を借りて、食べ歩きの店なら初期投資が少なくてもできると、おせんべいやクレープの安い投資で荒稼ぎしました。お店側は月10万でも借りてくれたらありがたいと。狭くて売りやすく利益率が高い、外で食べさせるようにすれば店1軒分の売上があるという、泥棒商売です。

聞き手:

「食べ歩きが日本発である理由」という本を書けそうですね……。

宗田さん:

これが日本文化とは誰も言わないでしょう。昔から、寿司やそばの屋台はありましたが、商売はしてもその場所で食べさせてはだめだとか、なにがしかのルールはありました。商店街のはずれでならいいが、中で屋台は絶対だめとかね。インドネシアでは開店時間を分けていました。日本は商店街の中ではそれも許さなかった。大げさなものではなく、たまたま商店街が寂れたところに臨時の小さな商売ができてきたのです。最初は日本人のお客でした。

聞き手:

食べ歩きごみを減らすためには、ごみにならない商売の仕方への転換が大事ですね。その段階では何をすればいいでしょう。

宗田さん:

規制側からすれば、食べているごみを回収することをポリューター・ペイズ・プリンシプル(汚染者負担の原則)で行うことです。産業ごみだから、自分でごみを出しておきながら誰かに負担してもらうのはだめです。その費用は価格に内部化して売ってもらう。その廃棄物処理の原則を崩してまで売らないといけない理由がない限り、取り締まらないと。

聞き手:

外部経済の内部化ですね。売り方を変えていくためには、「それぐらいの金額なら罰金を払った方が安い」ではなく、一定の重みがないといけませんね。

宗田さん:

路上で売らず、お店を構えた方が安くなるようにしないとね。

聞き手:

そんなふうに転換したおかげで観光ごみが減ったというような事例はありますか。

宗田さん:

これまでこんなに急速に観光客が増えた事例はないし、食べ歩く習慣もありませんでしたよ。

ローマのスペイン階段では、「ローマの休日」でオードリー・ヘップバーンがソフトクリームを食べたことで、ソフトクリームの店が出ましたが、すぐ禁止になりました。ごみが出たり、しみが大理石についたりで、勝手に広場で売るのがまずいと観光客から苦情が出ました。今、ジェラート屋さんはお店の前に路上占有をしてパラソルとベンチを置いています。立って食べる人はお店の中に引き込んでいます。方法は、お店の前にスペースを設けてその費用は道路を占有している市役所に払うか、自分の店に引き込むか、その二つのどちらかです。

聞き手:

そうやって食べ歩きをなくせば、まちや店のステイタスが上がりますね。

宗田さん:

観光地のステイタスとお店のステイタスとは長いスパンの問題で、ブランドになります。だいたい観光地は、飲食店から始まり、服屋→芸術品や骨董品屋→ブランドショップなどの高級品が並ぶところに変わっていきます。食べ歩きは初期段階ですから、放っておいてもいずれ消えていきます。タレントショップは瞬く間に消えて行ったでしょう。中高生がお小遣いで買える店は減ったんです。

聞き手:

食べ歩きは減ると思っていい?

宗田さん:

必ず。今、京都の観光地でも、三年坂が一流と言われ、嵐山は二流です。嵐山のステイタスが上がると、周辺の観光地へ派生します。伏見は庶民的なまちだからそちらへ行くかもしれませんね。

聞き手:

では、その転換を早く促すにはどうすればいいでしょうか。売り手が変わるのを待つだけでなくて、情報を流すとか?

宗田さん:

汚染者負担の原則をちゃんと主張しましょう。皆さんはごみのプロなんだから。すごい努力をして廃棄物のコストを明確化して市民に伝えて、減らしてきました。この汚染者負担原則で減らしてきたことをきちんと提言して、ルールを徹底するんです。そういう視点からは、食べ歩きのごみの出し方や処理の仕方をどうにかするということさえ不効率です。一般ごみに混じっても困る観光ごみをどうマネジメントするのか。ごみを売りっぱなしの人たちの経営を守ってはだめで、泥棒はだめだとちゃんと言うことです。ズルなんだとわかるようにしていき、おかしいぞという気持ちを市民が持つようにしないと、ごみを出していいと認めてしまうことになります。

聞き手:

その排出ルールを守るには、お店の中で食べる方がコストが安くなる仕組みを作ればいいのですね。

宗田さん:

そう、基本ルールはありますから、それを守ってもらうことです。

聞き手:

お店一対一の関係ではなかなか広がらないと思うのですが、組合への働きかけが有効でしょうか。

宗田さん:

そんな組合ある? 商店街組合は任意加盟でしょう。商店街のレベルでまずルールを作って決めてもらうことです。

それと、保健所は衛生管理をどうしているのか。行政も新しい動きに対応できていませんが、ごみ問題以外にも規制する必要があるのでは。食中毒が出ない保証はないですから。

小さい商売の店は、調理スペースは狭いし、食品衛生の責任者が見ているとは思えません。お客さんの持ち込む菌もあるから、トイレは店員と客で分けないと。ごみ以前に気になることはある。かつてデパートの屋上で、ジュースが噴水のようになっている自動販売機がありましたが、一瞬でなくなりました。あの機械は大腸菌が増殖すると「暮らしの手帖」が報じたからです。衛生管理上の事故がひとつあればすぐなくなります。屋台も福岡ではなくなりました。飲食店は常に食中毒との闘いで、飲食業の形態が変わってきたのは伝染病を止めるためです。衛生をないがしろにすれば必ず事故を起こします。

記録係:

私の世代は親から食べ歩きはみっともないとたたき込まれました。食べ歩きはいつからかっこ悪くないことになったのでしょうか。食べ歩かないのがかっこいいとかステイタスが上がるという視点で発信すればいいのではと思います。

宗田さん:

その世代が境目でしょう。2008年に本を出したとき、食べ歩きを否定しようとしたら、長浜の若い女性編集者が食べ歩きが楽しいんだと主張して書けなかったんです。だけど、食べ歩きはまちの発展を阻害するんだから、固定資産税を払ってほしいものです。お洒落な着物だったら、食べ歩きより落ち着いて座る方が素敵だよ、という発信はできるでしょう。

しかし、変えるなら食中毒を通じた発信が一番大きいですね。私が国連職員時代、東南アジアでは現地にどれだけ順応できるかを仲間と競いました。ちゃんとしたレストランより、人気の屋台に行って食べていましたが、B型肝炎に罹患して帰国する人が増えました。エイズも流行っていた頃で、みんな競い合いをやめました。衛生上よくないぞと言えば一発です。今、ナイトクラブや風俗営業が新型コロナで減りつつありますが、社会の変化はこのように起こります。「食べ歩き警察」が出てきたりしてね(笑)。そうはならない方がいいんだけど。

聞き手:

ところで話は変わりますが、先生は農業とまちづくりの問題にもお詳しいですね。日本では農業で食べていけず、特に中山間地の農村が衰退しています。一方、イタリアはすばらしい農村の景観が残っていますが、その違いはどこにあるのでしょうか。

宗田さん:

その国の農業の問題ですね。EUでも国ごとに農業の歴史は違います。日本とイタリアは戦後の農地改革が違います。日本では小作をなくして地主から小作に土地が分け与えられたことで、小さい面積で経営の苦しい「一反百姓」が中心になりました。農家の生活を維持するために食糧管理法が作られ、その制度が95年まで続きました。かなり高い値段で零細農家から政府がお米を買い上げて、安い値段で国民に分けるというような、お米さえ作れば生活が成り立つようにしました。工業化の進む日本で、工場に働きに行った農家の次男が得る給料と、長男が一反百姓で得た収入を合わせようという、無理な方法で農家の経営を維持しようとしたことが大きかったわけです。それでも経済成長の時代はよかったんですが、全国で休耕田が広がり、食管会計をやめてもう25年、四半世紀が経つし、自由にしたら農家の経営が成り立たなくなったという状況です。耕作放棄地が広がりつつあり、ようやく日本でも農地バンクの仕組みが全国に広がって、ごく一部のちゃんと農業をしようとしている農家に農地が集約されようとしていますよね。北海道、本州でそれぞれ規模は違いますが、10ヘクタールないし30ヘクタールになってくると、「食べられる農業」ができるようになるんですね。イタリアでも零細農家から農地を集約して健全にしようという取り組みをしました。フランスはさらに一歩進んでいて、たとえばルイ・ヴィトンを持っている会社ヘネシー(?)が、ボルドーの世界遺産にもなっているサンテミリオンのワイナリーを所有しています。40,50ヘクタールのブドウ畑と、きれいなワインセラー、ワイナリーを作って、観光農園として経営しています。パリのブランドをいくつも持っている会社が、シュヴァル・ブランというブランドワインを、ある村の半分ぐらいの地元農家を社員として雇ってつくっています。農家から農業を取り上げて、プロの会社がワイナリーを経営する、それぐらいまで農業も近代化しないと、家内制手工業のままで頑張ってやっていけばなんとかなるという状況ではなくて、8時半には出社して17時過ぎには帰宅できるという普通の産業にしないと。必要なの賃金も社会保障もあるという状況にして、稼げる産業にしてあげないと。「お百姓さんありがとう」で、朝早くから夜遅くまで働いて、汚いところで力仕事をして泥まみれになって、遅れた産業のまま取り残しておけばいいということではだめだと思うんですよね。ブラックでいいという発想ではなく、楽しく美しい産業にしてあげるということをすることが、農業の近代化、現代化だと思うんですよ。日本ではまだどこか我慢しないといけないという間隔が残っています。

ちょうど今、僕の背景に映っているのはイタリアの聖フランシスコの大きな聖堂があることで有名なアッシジです。イタリアはアグリツーリズムがすごく盛んです。観光客がこの周辺農村の農家を改装したところに泊まって、こんなきれいなところでアグリツーリズムを経営する農家はかっこいい、豊かな暮らしだと憧れるんです。こんなところで暮らせるのだったら、老後に妻と二人で1ヘクタールぐらいの農地で小さなペンションでも営むようなセカンドライフをできたらいいなと憧れるような姿ができているわけです。そんな大きな流れをつくるのが、ヨーロッパ共通の農業政策、コモン・アグリカルチュアル・ポリシー(CAP)。農地を次の三つに分けて考えます。(1) 農業法人が経営する農地、(2) 地域の環境を守るために生産性無視の環境保全農地、(3) アグリツーリズムの観光農地。生産農地には課税して、食品安全基準を守ってもらう規制の中で営んでもらいます。環境農地には補助金を出して環境保全型農法で営んでもらい、収量が落ちた分は補填します。観光農地は景観規制はかけるけれど自由に営める。デカップリング(切り離し)など、の補助金の仕組みがあるんです。その点、日本はまだ割り切れていません。農地を農民からとってはいけない、農村の経済的利益を犯してはいけないという考え方です。私自身、ミカン農園を持っていて、いよいよ面倒を見きれなくなって、JAの農地バンクに相談していますがなかなか難しくて。この先どうしようかと悩んでいます。そんな形で農業も変わりつつあるんです。

記録係:

そういう農地集約のやり方ではひずみは出ないのでしょうか。国際的には「小農」が注目されていますが。

宗田さん:

たしかにFAO(国連食糧農業機関)は小農の権利に注目しています。それは発展途上国を念頭に置いたものであり、日本がそのモデルとなりました。日本の1950年代、60年代はそこに経済的利益を与えたもので、その形で発展してきたんです。一方、途上国は元小作農の小農を保護しませんでした。日本は大地主が農地を買い戻すのを阻止し、都会の資本の流入を阻止しました。それを今、途上国でやろうとしているんです。アグリビジネスの連中が農地を買い上げて、労働者を雇用するのを止めると。途上国では、農村の農業技術も上がらないし、搾取された社会状況も変わらないしという状態で取り残されているわけです。でもそれを、いきなりヨーロッパ型の豊かな中農への道筋は描けないから、まず日本をモデルにと言っています。まずは小農が豊になり、生産物を適正な価格で買ってもらえるようになり、一部の人たちが農業以外のセクターに行き、工業化が進み、社会全体が豊かになっていく中で農家の数が減ってきて、だんだん農地が集約化されてきて。ヨーロッパ型の中規模農業になっていく、しかしアメリカ型のアグリビジネスには行かないようにして。だからまずは日本の昭和40年ぐらいになりなさい、その後ヨーロッパの80年代ぐらいになりなさい。やがて日本とヨーロッパの融合した2020年ぐらいのモデルになりなさい、というそういう絵なんですよ。だから、日本政府も小農の取り組みには協力しているし、SDGsでも議論しているけれど、日本モデルからヨーロッパ型の中農へというように、発展モデルを正しく理解しないといけません。アフリカの小農が、1ヘクタールもない土地では経営は難しいでしょう。日本は二毛作などできる環境だし、集約型の高い技術で園芸だと言われています。そこまでアフリカやアジアの農家が行くのは無理でしょう。世界遺産の農業でも、バリ島の棚田、フィリピンの棚田などは小農の集合だが、保護すると食べられなくなっています。棚田の持ち主はホテル経営や出稼ぎで営農を支えています。日本でも名勝の棚田、「姥捨の棚田」は守れなくなっています。アメリカ型ではなく、ヨーロッパ型を指向するのがよいでしょうね。

聞き手:

ごみ問題から見て、食は食品ロスなどの視点から関心が持たれています。消費した後だけがクローズアップされますが、ごみだけを考えずに生産の段階から考えていかないといけませんね。

宗田さん:

生産、消費、流通で見ると、生産の段階でどう変化しているかを見ないとだめです。学校給食や介護施設や病院は工場で作ったものをデリバリーしているからロスは出ません。普通の家庭の方が変なロスが出ますね。今の時代、家庭で調理する方がいいのか、デリバリーや外食の方がごみは少ないのではと思えます。昔は循環のサイクルが小さかったから廃棄物は出ませんでしたが、今のような農業、外国の産品が家庭に入ってくるようでは、個人の努力で止められない状況になっています。

聞き手:

東南アジアは夕飯は家でつくらずほとんど屋台でと聞いていますが。

宗田さん:

暮らしが貧しいときは外食中心でも、サラリーマンが増えて所得が増えると、家庭で作ることを楽しむようになるんです。かつては隣の人とお醤油の貸し借りをしていても、お金が入ったら、自分のところだけで隠して食べるようになります。豊かさの裏返しがロスになっているんであって、貧乏人はロスにならないですね。

聞き手:

発生源が変わってくるわけですね……

観光ごみの話から、ヨーロッパの農業政策、そして食品ロスの話題と幅広くお話しいただきました。

今の状況が変わったら、またシンポジウムなどを開催して、参加者とも交流してたっぷり語っていただきたいと思います。

ありがとうございました。

以上

 

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