脱プラ、減プラ、キーパーソンインタビュー第7回 郡嶌 孝さん

世界は、なぜ脱プラに向かうのか

話し手 同志社大学名誉教授 郡嶌 孝さん
日 時:2019年10月21日(月)14時から
聞き手:京都市ごみ減量推進会議職員 堀 孝弘 龍谷大学政策学研究科 趙 迪
場 所:〒601-8412京都市南区西九条院町17 都ホテル京都八条喫茶コーナー

■めざすは脱石油文明

・行動のきっかけは実害の発生

聞き手 本日はお忙しいなか、時間をとっていただき、ありがとうございます。今世界では、プラスチックの削減に大きな注目が集っています。脱プラを進める各国の動機には、どのような背景があるでしょうか。

郡嶌 世界に目をやると、プラスチックの削減の動きは、切実な実害の発生が対策をとるきっかけになっている場合が多い。例えば、アフリカではすでに10数カ国でレジ袋の禁止や有料化が行われている。レジ袋が排水溝をふさぎ、各所に水たまりができることで、蚊を媒介したマラリアの蔓延につながっている。また、南アジアのバングラデシュでは国の全ての川がよく洪水を起こすが、レジ袋が排水溝をふさぎ、長期間水が引かない。先進国でもアメリカのテキサス州の牧場では、風で飛ばされ柵に引っかかったレジ袋を牛が食べ、牛の胃からプラスチックが出てくるといった問題が起きている。そういったことが対策のきっかけになっている。インドでもヒンズー教の聖なる動物、牛が路上に散乱したレジ袋を食べて死んでいる。
しかし、ヒンズー教徒や牧場主など畜産関係者にとって、牛の胃からプラスチックが出てくることは大きな問題だが、そのことが国際的な関心事になることはなかった。一方、死んだ海洋生物の胃からプラスチック袋が大量に見つかったり、ウミガメの鼻にストローが刺さっている映像などがYouTubeにアップされ、多くの人がダウンロードすると、海洋プラごみ問題への関心が一気に高まった。実害は人の行動を促すが、そのことが利害のない人の共感まで引き出すかは別問題である。BBCの「ブループラネット2」は世界中で見られ、ナビゲーターのアッテンボロー卿の名前をとって、「海洋プラごみ問題」への関心の高まりを「アッテンボロー効果」と呼んでいる。

・脱石油文明の構築に向けた戦略

郡嶌 先に紹介したアフリカ諸国や南アジアでのレジ袋規制は、切実な問題が背景にあるわけだが、ピースミール(断片的)なその場その場の「対策」や「措置」といったものだ。その点、ヨーロッパ諸国やアメリカの一部の州での脱プラスチックの動きは、脱石油文明といったビジョンを描き、その実現に向け戦略的に政策を進めている。電力では再生可能エネルギー、自動車ではEV車や水素自動車の普及、石油化学産業もプラスチックの循環的再利用技術や代替素材の開発を進めている。
その背景には、ピークオイル問題がある。これまで何度も「石油資源が枯渇する」と言われてきたが、新たな油田が発見されるなどして「枯渇」は回避されてきた。しかし、2005年に石油の需要が供給を上回り、化石燃料に頼った社会の限界が見えてきた。石油に依存しない社会をどのようにつくるか、その大きな動きの中の1つとして、石油由来のプラスチックからの脱プラスチックの政策が打ち出され、社会をあげて推進しようとしている。持続可能な社会をつくろうという活動は、トランジション・タウン運動など、草の根の活動にまで広がっている。

・めざすは「リサイクル社会」ではない

郡嶌 EUやアメリカでは、Circular Economy(循環経済)、あるいは、ごみゼロ社会の構築が社会課題になっているが、脱プラスチックはその試金石になるだろう。この点、日本では循環経済をリサイクルが普及した社会と勘違いしている人が多い。日本では、マテリアル(物質)リサイクル、ケミカル(化学)リサイクル、サーマル(熱回収)リサイクルの順に優先順位を設定している。この序列の設定には政治的な背景があるが、これが今やリサイクルの高度化の阻害になっている。現在リサイクルの主流として行われているマテリアルリサイクルは、品質の劣化を必ず伴う。再生品は元の品質を維持できないため、リサイクルを進めても、常に新しい資源とエネルギーの追加投入が必要である。品質の劣化を伴わないリサイクル技術の普及が必要である。
かつてはコスト高が問題となったケミカルリサイクル(欧米では、トランスフォーメーショナル技術と言われる)にしても、欧米では高度化が進んでいる。使用済みプラスチックをポリマーレベルやモノマーレベルまで戻したリサイクル(ポリマー・リサイクルやモノマー・リサイクル)、さらに油化(石油に戻すフィードバック・リサイクル)と様々な高度なリサイクル技術が開発されている。

聞き手 日本ではマテリアルリサイクルでも、ペレットの高度洗浄によって、再生ボトルの原料にする技術が開発されて実用化されていますね。

郡嶌 ただし、高度洗浄はマイクロプラスチックの発生にも気をつける必要がある。ポリマー・リサイクルやモノマー・リサイクルはクローズドシステムで解重合に溶剤を使用するので、マイクロプラスチック化は防げる。

・国がビジョンを示し、それを受けて企業の技術開発が進む

郡嶌 例えば、アメリカのコカ・コーラ社やペプシ社は、2050年には100%再生原料から作られたボトルに転換するとの目標を表明している。これなど国や州が循環経済のビジョンを示していることで、企業がその方向に向けた技術開発を支援し、その技術に目処が立ったからこそ、思い切った方向転換が可能になったと言えるだろう。
ヨーロッパ諸国、特にEUはゲームチェンジャーを目指している。それまでの社会制度の延長で考えるのではなく、新しいルールのもと、新たな科学技術の開発と、静脈産業の成長を促し、その普及を通じて次の社会をリードする存在になろうとしている。これこそ、使い捨て経済からの決別であり、循環経済の始まりとしてのニュー・プラスチックス経済への挑戦と言える。
アメリカはどうか。トランプ政権になって以降、環境政策に後ろ向きな姿勢がよく報道されるが、マスコミの取り上げ方も良くない。アメリカは連邦国家で州ごとに環境政策が異なる。共和党知事が選出されている州では、「レジ袋の禁止を禁止する」といった政策を採っている州もある。しかし、一方、民主党知事を擁している州(カリフォルニア州、オレゴン州、ワシントン州、メイン州、バーモント州、デラウェア州など)は、連邦政府より意欲的かつ先進的な環境政策を打ち出している。

・木を見て、森を見ない国

郡嶌 それと比べて日本はどうか。ものの本質から人々の目をそらすため、取り上げる対象がレジ袋やストローのように小さなもの(矮小化)になっていないか。日本政府は、2020年の東京オリンピックまでに、スーパーでのレジ袋の有料化を国レベルで実施することを表明したが、諸外国は「今ごろか」と感じたことだろう。ビジョンなき、その場しのぎの対策のみと言える。いくつかの「対策」だけで満足してしまえば、海洋プラごみ問題にしても、いつかブームが去り、レジ袋の有料化だけで取組が終わってしまいかねない。

聞き手 過去には「環境ホルモン」の問題がブームになりましたが、いつの間にか誰も取り上げなくなりましたね。

郡嶌 「熱しやすく冷めやすい」といった国民性というより、脱プラスチック問題については「木を見て森を見ない」といった形容の方が適しているだろう。「ビジョンなき社会」とも言える。どこに進もうとしているのか見えない。Think Globally, Act Locallyという言葉があるが、Think Globallyがないまま、Act Locallyばかりが注目されている。
2017年末の中国の廃プラ輸入禁止措置を受けて、外国に頼ったリサイクルができなくなった。国内でリサイクルを進めようとする中で、使い捨てプラスチックでも、リサイクルが比較的しやすいものと、困難なものやコストがかかるものがはっきりしてきた。レジ袋は選別機に引っかかり、ストローは機械の隙間に挟まるなどのことが起きる。その都度機械を止めなければならない。リサイクルが困難なものやコストがかかるものについて、これまでは人件費の安い海外の途上国に輸出していた。これらのリサイクルも国内でやるとなれば、結局のところ、使用の禁止や制限をしていくことが必要である。

■プラスチックとのつきあい方を考え直す

・課題は使い捨てそのものの見直し

聞き手 プラスチックはとても便利で安価なものです。現実問題としてこれをすべてなくすことはできないと思います。課題は「使い捨てプラスチックの削減」だと思いますが、いかがでしょうか。

郡嶌 使い捨てが悪いのか、プラスチックが悪いのか考える必要がある。使い捨てが悪いのであれば、循環利用に変えていかないといけない。プラスチックがいけないのであれば、素材の代替を進めないといけない。
使い捨てでいえば、もとは空き缶問題があった。1970年代後半から京都の嵐山などの観光地で問題になり、嵯峨小倉山・常寂光寺の長尾憲彰住職(当時)の活動が、1980年にはデポジット条例案を市議会に上程する目前まで発展したことがあった。その活動は結実せず、市町村による分別収集とリサイクル推進といった形で社会に広まった。以降、スチールがアルミに、そしてプラスチックへと容器の素材は変わったが、使い捨ての拡大といった問題の本質は変わっていない。陸域での散乱が海域での散乱に拡大して深刻化をもたらした。問題の本質は変わっていない。

聞き手 使い捨てプラスチックを減らそうという運動は多くても、拡大生産者責任の強化・徹底まで主張する人は少ないですね。

郡嶌 アメリカでは、拡大生産者責任をプロダクト・スチュワードシップと言うが、今年の州レベルの立法では、プラスチックのリサイクルを進めるには、製造者にその責任(散乱させた者ではなく、市場に散乱の原因となるモノを導入した原因者負担の原則)を負わせることが主張され、ワシントン州・カリフォルニア州・メイン州等で議論がなされた。連邦議会でも、法案の提出がなされ、主張されている。

・プラスチックの有用性も評価した循環的利用

聞き手 使い捨てプラスチックを減らすとともに、プラスチックとのつき合い方を考え直さないといけないわけですね。

郡嶌 プラスチックには、安価で耐久性があり分解しないなど有用かつ様々な特性がある。必要とされるところで使われるのはよいが需要が限られれば価格が高くなる。例えば、身障者にとって曲げても折れないプラスチック製ストローは不可欠なものだが、身障者の利用だけでなく対象を限らないことで、価格も下がり、誰もが手に入れやすくなった。医療用の輸血パックなどでも塩化ビニルを排除することはできない。そのようなことをすれば患者や身障者差別につながりかねない。ペットボトルにしても災害時の水備蓄用ボトルまでなくす必要はない。しかし、余りにも過度に汎用性が進められた。
適切なニーズのもとでの需要に応じた供給の管理が求められる。安く売れば儲かる、便利でいいという評価だけで汎用性を評価する時代ではない。
アメリカでも、フードバンクのように生活困窮者の支援活動にレジ袋のようなプラ袋を使うことを制限していない。ニューヨーク州ではスーパーなどの小売店では、レジ袋に5セントの税を課している。そのうち2セントは低所得者の再使用袋購入の支援に用い、3セントは環境対策に用いると使途を明確にしている。

聞き手 日本では、リデュースというとペットボトルやレジ袋の肉厚を薄くすることのように理解している人や企業がありますが、ヨーロッパではむしろ薄いレジ袋が規制対象になっていますね。

郡嶌 EUでは、厚さ5ミクロン以下の薄く軽いレジ袋を規制している。レジ袋が有料化されていても、買い物袋を持っていない時もある。何かのことで入手したレジ袋であれば、再使用を促す意味で、ある程度の厚みをもたせている。何度も使用した後のレジ袋は最後はごみ袋として使ってもらえばいい。ごみ袋の節約にもなる。または、ごみ袋を手提げにできるデザインにし、ごみ袋で買い物してもらい、その後ごみ袋として使ってもらう、そのようなアイデアを取り入れて実験している都市もある。薄いプラ袋が禁止されたカリフォルニア州やニューヨーク州では、ごみ袋を持ってレジ袋替わりに使うのがはやりのファッションになっている。
プラスチック製袋の代替素材として紙や布がある。当然ながら、紙や布の製造にも資源とエネルギーが必要であるが、これが意外に大きい。紙袋の場合、CO2換算で同サイズのレジ袋と比べ、3倍程度環境負荷が大きいという試算がある。布であれば綿花栽培で多くの殺虫剤と水を用いる。布袋は再使用を前提にしたものだが、300回程度再使用しないとプラ袋より環境負荷が低くならないという試算もある。そういったこともあり、使い捨て容器包装プラスチックを減らそうという活動と、オーガニックコットンを広めていこうという活動の接点が生まれている。ライフサイクルアナイシス(LCA= Life Cycle Analysis)では、プラスチックの再使用袋の環境負荷が一番低いという結果もある。再使用も何回再使用するか、頻度によって環境負荷も変わる。

・環境と社会、経済を統合したビジョン

郡嶌 プラスチックには有用性もある。それを必要とする人もいる。アメリカでは、プラスチックストローの一律禁止は、法律で「身障者差別」とされる。有用性を見据えて、海外では規制対象とするプラスチックの定義を明確にしている。レジ袋であれば、規制の対象は軽量のものでその定義は先に述べた。再使用可能なプラ袋であれば、LCAで何回以上の使用を求めるか明確にしている。また、店頭でのはだか売りが困難な青果物等もある。また、肉類や魚類、冷凍食品、それらへのプラスチック製包装の使用は禁じていない。
プラスチックそのものが悪いのではなく、プラスチックとどのようにつきあうか、何を必要とし、何を断念するかの哲学が必要である。「使わない工夫、断る勇気」も必要である。汎用性のあるプラスチックは用途が広く、多くの雇用を生み出している。プラスチックに替わる新たな産業を生み、新たなルールづくりによって、売りっぱなしではなく、製造者が静脈を動脈に取り込み、内部化し、あるいは、静脈産業とのコラボも含めて製品管理する、それによって、雇用をつくる。そこには環境と社会、経済を統合したビジョンが必要である。これは、まさに今注目を集めているSDGsの発想そのものであり、どのように知恵を出していくかが問われている。

・使い捨て消費からの決別

郡嶌 資源効率が注目されることがある。より少ない資源で、より多くの製品を生み出そうとするもので、資源生産性ともいう。しかし、資源効率だけでは限界がある。多くのモノがあって、豊かさが得られるという発想は変わらない。モノ中心の考え方だ。それに対して、より広義の資源効率、モノのもつ機能・サービスを効率化する、サービス(利用)効率、より少ない資源で、より多くのサービスを生み出す。さらには、より少ないサービスでより多くの満足を生み出す充足効率に基づく「脱物質化」への転換も必要である。
より少ないモノで多くの満足を得るには、モノの所有から、サービス中心のサービスの提供へと産業のあり方(生産構造)、ライフスタイル(消費構造)が変化しないといけない。例えば、休日にしか自動車を使わないユーザーがいたとする。平日は車庫に眠ったままの自動車を、平日にそれを必要とする人とシェアをする。それぞれのニーズをつなぎ、モノで儲ける社会でなく、サービスと満足の提供で成り立つ社会。それは禅の思想「足るを知る」に通じる。日本こそ、そして京都こそ、そのような「おもてなし」のサービス効率、充足効率に基づくライフスタイルを世界に発信することが重要である。それでこそ「日本に、いや、世界に、京都があってよかった」のである。

・筋の通った哲学の大切さ

近代経済学者の都留重人氏は、最晩年に『市場には心がない』を著した。この中で、自由競争の行きつく先に、強者による一人勝ちの社会があると警告した。
話の途中で紹介した長尾憲彰氏は、「市民のごみからの自立」は、市民自らが自立した社会によって実現すると話されていた。企業による大量の情報に翻弄されるのではなく、何を必要とし、何を必要としないのか、使わない工夫や断る勇気を育むためにも、自立が根底になければいけない。Rethink こそ全てのRe(Reduce・Reuse ・Recycle)に先立つ。
経済学者で公害問題や平和活動にも取り組んだ宇沢弘文氏は、1990年代に「公共」という言葉について、「公と共は別物であり、前者は行政を指しこれに頼りすぎるのはよくない。共の領域を広め、強化していくことが必要である」と主張した。モノのシェアが普及したシェアエコノミーとはまさに共の領域の拡大によって生まれるものである。その共創の社会を作ろうではないか。

聞き手 本日は長時間にわたり、ありがとうございました。1993年春に初めて郡嶌先生の講義を聴かせてもらった当時、まだまだ世間では、「環境保全と経済はバッティングするもの」と思っている人が多くいました。郡嶌先生のご講義から「環境保全と経済の両立が可能」であることを確信して今に至っています。

 今日久しぶりに先生のお話を聴かせてもらい、あらためて同じことを感じるとともに、この四半世紀の間に、日本の取組の遅れをひしひしと感じました。本日聴かせていただいたお話を、これからの自分のエネルギーにしたいと思います。ありがとうございました。

インタビュー終了後

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