お茶の淹れ方を知らない人が増加中
ある時,茫然とする出来事が…
え!? どうしてこんなことになっているの???
注ぎ口まで一杯のお湯と向こうが見えないほどの茶葉が注がれたサーバーを前に呆然しました。一体これはどういうこと?
お茶ってどうやって淹れるんですか
これは,ある環境NGOでスタッフをしていたときのこと。
10人ほどが参加するミーティングに備えて,学生さんに「お茶を淹れておいてもらえる?」と頼みました。ところが,「お茶ってどうやって淹れるんですか?」と学生さん。「え? どうやってって,茶葉にお湯注ぐだけだよ。人数が多いから(ガラスの)サーバーを使ってね」と伝えました。
数分後。山盛りの茶葉にお湯が注がれたサーバーが現れたというわけです。
茶葉1袋,すべて使った…
聞いてみると袋に入っていた茶葉(200グラム)を全部使った,とのこと。
「だって,有川さん,『茶葉をサーバーに入れて』って言いましたよね」
確かに言ったけど「お湯に対してどれくらいの茶葉を入れるかぐらい分かるでしょう!」思わず叫んでしまいました。
お茶の淹れ方を知らない若者増加中
その後も似たようなことは続きました。びっくりするほど薄かったり,渋みたっぷりだったり。お茶の淹れ方が分からない学生さんのために「お茶の淹れ方」を給湯場所に貼っていた時期もありました。これはどうやら最近の傾向のようで,ある大学の先生も「学生にお茶を淹れてと頼んだら『淹れ方がわからない』と言われた」と嘆いていました。
お茶を淹れる機会がない
なぜこんな学生さんが多くなってしまったのでしょうか。
お茶ぐらい家で淹れるだろうに,と思ったら大間違い。いつも家族の方が淹れてくれていたり,ペットボトルや缶でお茶を飲むことが多かったり,と自分でお茶を淹れる機会がないようなのです。
生きる力の低下は,持続できない社会に
缶やペットボトルでお茶を飲むことが当たり前になれば,ごみが増えるという問題もありますが,それ以前の問題として,生きる力,暮らしていく力の低下を感じてしまう,といったら大げさでしょうか。お茶を淹れられないと生きていけないわけではありませんが,生きていく上でのたくましさが失われるような気がします。美味しいお茶を淹れてほっこりする,という暮らしの楽しさも得にくいのではないでしょうか。環境問題への関心の第一歩となる,社会や環境への感度も薄くなっていくと思うとお茶の淹れ方一つで日本,いえ地球の未来さえも心配になってきてしまいます。
たかがお茶,されどお茶
お茶を自分で淹れられる人が増えることは,ごみが減るだけではなく,たくましく,楽しく生きていく,暮らしていく人を増やすことにもつながるのではないでしょうか。(2016年10月24日公開)
以上